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Thursday, June 30, 2022

映画『リコリス・ピザ』:名手ポール・トーマス・アンダーソンにしか描けない、70年代アメリカの甘くて苦い青春 - ニッポンドットコム

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世界三大映画祭すべてで監督賞を受賞した米国の名匠ポール・トーマス・アンダーソン。長編9作目となる『リコリス・ピザ』は、久々に地元であるロサンゼルス郊外のサンフェルナンド・バレーを舞台に、10代と20代の男女の一風変わった恋愛を描く。60~70年代の名曲の数々をバックに当時の南カリフォルニアの空気が味わえる、青春映画の見かけをした見たこともないような快作だ。

リコリスとは、甘草(かんぞう)とアニスのフレーバーを付けた、欧米の駄菓子。「ハリボー」など、輸入グミのパックによく混ざっている、真っ黒に着色され、独特の「甘苦い」薬草風味のアレだ。子どもたちは、これを「ウェーッ、まずい」とふざけ合って食べているうちに病みつきになってしまう。好き嫌いを越えた思い出の味なのだ。

だから「リコリス・ピザ」と聞けば、笑い出さずにはいられない世にも悪趣味な食べ物が想像できる。実はこれ、1969年から85年まで南カリフォルニアに実在したレコードショップの名前だという。「リコリスの色+ピザの形=レコード盤」というシャレの効いたネーミングで、最盛期には一帯に34もの店舗を展開し、音楽好きの若者が通うお気に入りの地元スポットだったらしい。

映画『リコリス・ピザ』に描かれた1973年の南カリフォルニア。ゲイリー(クーパー・ホフマン)は10代にしてピンボール場を経営する実業家だ © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
映画『リコリス・ピザ』に描かれた1973年の南カリフォルニア。ゲイリー(クーパー・ホフマン)は10代にしてピンボール場を経営する実業家だ © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

映画『リコリス・ピザ』の舞台となる1973年のサンフェルナンド・バレーにも店はあったろう。しかし劇中には登場せず、その名が口にされることすらない。監督のポール・トーマス・アンダーソン(以下、PTA)はこれについて、作品のさまざまな要素を一発で言い表せるタイトルだと説明している。

地元サンフェルナンド・バレーへの帰還

サンフェルナンド・バレーはロサンゼルス市の北にある、東京23区ほどの広大なエリア。ハリウッドに隣接するため、撮影スタジオが点在し、映画関係者が多く住む。閑静な住宅街が広がり、大通りにはレストランやブティックが並ぶ。これまで数々の映画の舞台となってきた。

PTAはその中でもハリウッドに近いスタジオ・シティという地区の出身だ。サンフェルナンド・バレーでは長編2作目の『ブギーナイツ』(97)に始まって、『マグノリア』(99)、『パンチドランク・ラブ』(2002)と立て続けに撮ったが、その後はしばらく遠ざかっていた。『リコリス・ピザ』でほぼ20年ぶりに地元に戻ってきたことになる。

時代設定も『ブギーナイツ』と『インヒアレント・ヴァイス』(14)で扱った70年代。前作の『ファントム・スレッド』(17)では、50年代の英国ロンドンへ初めて国外に舞台を移し、洗練された重厚な心理劇という新境地に踏み込んだと思わせた。だが今回こうして、愛着のある世界と決別したわけではなかったことを示してみせた。

ポール・トーマス・アンダーソン監督(右)© 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ポール・トーマス・アンダーソン監督(右)© 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

青春映画という「新機軸」

だからといって、過去の作品づくりに回帰する意図はまったくなかったに違いない。これまで作品ごとに新しい試みを打ち出してきたが、それはこの『リコリス・ピザ』も同様だ。主役の2人にフレッシュな顔ぶれを起用し、ティーンエイジャーが登場する青春モノに挑んでいる。とはいえそこはPTA、ありきたりの青春映画になるはずがない。

物語は、数々のメジャー作品を世に送り出してきた実在の映画プロデューサーでPTAの友人、ゲイリー・ゴーツマンの若き日々から着想を得ている。ゴーツマンはサンフェルナンド・バレーで育ち、子役としてテレビや映画に出演する傍ら、10代にして起業家となり、ウォーターベッドの販売や、ピンボール場の経営を行ったという特異な経歴の持ち主だ。

写真撮影日の高校で、ゲイリーはカメラマンのアシスタント、アラナ(アラナ・ハイム、左)と出会う © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
写真撮影日の高校で、ゲイリーはカメラマンのアシスタント、アラナ(アラナ・ハイム、左)と出会う © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

こうしたエピソードを15歳の高校生ゲイリー・バレンタインを主人公に描く。ピクチャー・デー(米国の学校では、卒業写真という形ではなく、毎年のイヤーブック用にポートレートを撮る慣習があり、全校生徒の撮影日をこう呼ぶ)に登校したゲイリーが、カメラマンのアシスタントとして働く年上の女性アラナに一目ぼれし、食事に誘うという出来事で幕を開ける。

ゲイリーを演じるのは、『ブギーナイツ』や『ザ・マスター』などPTAの5作に出演した盟友で、2014年に46歳という若さでこの世を去ったフィリップ・シーモア・ホフマンの息子、クーパー・ホフマン。撮影当時は17歳で、映画初出演だった。もう1人の主人公、自称25歳のアラナ役は、サンフェルナンド・バレー出身の三姉妹バンド「ハイム」の末っ子、アラナ・ハイムが演じる。こちらもこれが銀幕デビューとなった。

ゲイリーとの出会いで少しずつ自分の殻を破っていくアラナ © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ゲイリーとの出会いで少しずつ自分の殻を破っていくアラナ © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

アラナが体現する、現実に幻滅した「ふてくされた女子」像に、何ともいえない魅力がある。子役らしいませた感じで自信たっぷりに言い寄ってくるゲイリーを鼻で笑い、冷たくあしらいながらも、次第にそのペースに乗せられていく。子どもっぽさを残しながら、思いつきを大胆に実行するゲイリーを通じて、厳格なユダヤ教徒の家庭に育ったアラナの前に、新しい世界が開いていく。2人は時にすれ違いながらも、忘れがたい時間を共にし、70年代アメリカの街と時代を全力で駆け抜ける。

70年代アメリカのポートレート

1970年生まれのPTAが、20歳近く年上の友人のエピソードを通じてスクリーンに投影したかったのは、自身の青春時代に抱くノスタルジーとは違うものだったのだろう。自分が生まれて間もない頃の世界を理想化しながらも、現代からの批評的な視点が欠けているわけではない。

ショーン・ペンが名優ウィリアム・ホールデンをモデルにした人物を演じる。アラナも彼と共演した女優ケイ・レンツがモデル © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ショーン・ペンが名優ウィリアム・ホールデンをモデルにした人物を演じる。アラナも彼と共演した女優ケイ・レンツがモデル © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

随所にちりばめられているのは70年代ならではの「今では笑えない」ジョークだ。日本人やユダヤ人、若い女性やゲイをからかう時代の空気が詰まっている。ただし、そうしたハラスメントを発する人々の無神経さの向こうに、それを受ける人々の居心地の悪さがしっかりと感じられる。そもそも大人の女性が15歳の少年とデートすることだって、いまや「不謹慎だ!」と言われかねない。PTAはそれらを決して挑発的なやり方ではなく、ポリティカル・コレクトネスが台頭する前夜の世界として、相対化して見せている。

1973年といえば、ジョージ・ルーカスの青春映画『アメリカン・グラフィティ』が封切られた年。人々はスクリーンを通して1962年のカリフォルニアを懐かしみながら、日に日に厳しさを増す現実との対比で、60年代の良き時代が過ぎ去ったことを思い知らされた。そこから半世紀を経て当時を振り返った『リコリス・ピザ』に映るのは、夢から現実へと引き戻されるのに抵抗する人々の姿だ。

アラナとゲイリーがウォーターベッドを届けた先は、大物歌手バーブラ・ストライサンドの家だった。その夫で実在する映画プロデューサー役をブラッドリー・クーパー(左)が演じる © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
アラナとゲイリーがウォーターベッドを届けた先は、大物歌手バーブラ・ストライサンドの家だった。その夫で実在する映画プロデューサー役をブラッドリー・クーパー(左)が演じる © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

早く大人の男になろうとする少年と、少女から脱皮し切れない大人の女。その間に生まれるぎくしゃくした関係が、ハリウッドという夢の世界と隣接したサンフェルナンド・バレーを舞台に展開する。PTAはこのように「境界」をさまざまに交差させ、ありふれたようでいて、見たことのないような日常生活の小さな冒険を描き上げた。これを2022年夏の猛暑の中、街へ出かけて行って観るという体験に、何か大きな意味があるような気がしてならない。

ゲイリーの視線の先には...... © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ゲイリーの視線の先には...... © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

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作品情報

  • 脚本・監督:ポール・トーマス・アンダーソン
  • 出演:アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン、ショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディ
  • 製作年:2021年
  • 製作国:アメリカ
  • 配給:ビターズ・エンド、パルコ
  • 公式サイト:https://licorice-pizza.jp/
  • 7月1日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

予告編

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