初上陸は1985年…海外映画や国内ドラマの原体験から、“憧れ”を届けた宅配ピザ
そんな中、『E.T.』公開から遅れること3年、1985年に『ドミノ・ピザ』が日本に登場。次いで1987年に誕生したのが『ピザーラ』。『ピザーラ』は、株式会社フォーシーズ会長・浅野秀則氏が『E.T.』内に登場した『ドミノ・ピザ』に憧れ、そのフランチャイズ店を希望したが、直営以外の出店を断られ『ピザーラ』を作ったのは有名な話だ。そして『ピザハット』は1991年。実は1973年に日本に参入しており、当時はピザレストランとして営業。後に日本ケンタッキー・フライド・チキンが経営を受け継ぎ、宅配専門として再スタートを切った。
日本に宅配ピザサービスが輸入されてからは、国内トレンディドラマでも宅配ピザが登場。憧れる都会人の生活、そこに登場する宅配ピザは視聴者にとって瞬く間に“憧れの食べ物”となり、ちょっとした祝い事やパーティー、友達との家飲みなどで「ピザにする?」と言った会話がなされるようになった。
過剰なサービス合戦の行き着く先は? 日本発のトッピングや“みみ”までこだわるサービスも
30分ルールは当時人気を呼んだキャンペーンで、追随する競合も模倣。だが、宅配時の事故や交通違反が相次ぐようになり、人命に関わるためついに警察から指導が入り、たち消えてしまう。
「『ピザハット』は、スピード競争には一切乗りませんでした。それは、当時の技術ではスピードに追い付かずにどこかで破綻すると考えたからです。その代わり弊社では、生地を粉から手作りし、スピードではなく品質に注力していました。このように宅配ピザ業界は失敗と成功、試行錯誤を繰り返してきました」(同)
ちなみにハーフ&ハーフのサービスは日本発祥。「日本には幕の内弁当の文化があります。一つのものではなくできるだけ多くの種類を食べたい。この発想がハーフ&ハーフを生み、多くの会社が模倣。またたく間に世界に広がっていきました」(石橋さん)
また、生地の“みみ”にまでチーズを入れたサービス「チーズクラスト」は『ピザハット』による発明だ。「弊社はグローバル企業ゆえ、生地やチーズ、トマトソースなどを世界基準のものから変えることは許されませんでした。ですから、変えても大丈夫な“みみ”に目をつけたんです(笑)。ですが、これではすぐに他社さんに模倣されてしまいます。そこで、チーズの“みみ”をひねってつまめるようにし、メイプルシロップをかけてデザートになる『チージーロール』が誕生しました。模倣されてもその先を…と、さまざまな工夫を凝らしてきました」(石橋さん)
だが、凝りすぎて失敗したケースも。例えば『ナインズ』と呼ばれる小さいピザを9個集めたピザを過去に販売。「これは真似されませんでした。きっと採算が合わなかったのでしょう(笑)」と石橋さん。学生時代もアルバイトとして『ピザハット』で働いた加藤さんは「当時私は現場にいましたが、オペレーションが大変で…値段も普通のピザと同じで手間だけかかる。現場は悲鳴を上げていました(笑)」と懐かしむ。
品質の向上はもちろん、保温機能に関しても様々な技術革新が起きた。配達員がピザを運ぶ袋もその1つだ。冷めないよう、袋の中に一定の温かさを保ったプレートを常備。ピザが美味しく食べられるのは60度以上、その適温を宅配時にも保つことに成功した。これもライバル同士が切磋琢磨した結果、生み出されたサービスだった。
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