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Sunday, May 8, 2022

ピザ・マルゲリータの由来 「王妃の好物」説は作り話? - 日本経済新聞

ssabutkelapa.blogspot.com

今や世界中で人気の料理となったピザ。その種類はさまざまだが、王族に由来するピザは一つしかない。19世紀のイタリア王妃の名にちなんだピザ「マルゲリータ」だ。

物語の始まりは、1889年のナポリ訪問とされる。街の中心部に出た王と王妃は、ピザ店からおいしそうな香りが漂っていることに気づいた。

興味をもった二人は、その店のシェフ、ラファエレ・エスポジトをナポリのカポディモンテ宮殿に招き、そこでピザを作ってもらった。エスポジトは、3種類のピザを作った。そのうちの一つは、イタリアの国旗にちなんだもので、赤いトマト、白いモツァレラチーズ、そして緑のバジルが使われていた。

翌日、エスポジトのもとに、王室の食卓責任者を務めるカミーロ・ガッリから手紙が届いた。「親愛なるラファエレ・エスポジト殿。王妃陛下は、あなたが作られた3種類のピザにたいへん満足されたことを確約いたします」というものだった。マルゲリータ王妃は3つすべてに満足したが、一番のお気に入りは赤と白と緑のものだった。そこでエスポジトはこのピザをマルゲリータと名づけ、ナポリ名物のピザが誕生したという。

ピザと愛国心

この話にはいくつかのバリエーションがあり、観光ガイドやレシピ、食の歴史などで紹介されている。確かに、大衆受けする話にふさわしい要素はそろっている。王妃が庶民の料理を味わうというおとぎ話的な部分もあれば、ピザとイタリア国旗の色という愛国的な意味合いも含まれている。

話の一部は、事実であることが確認されている。エスポジトは、マルゲリータ王妃が訪れたとされる1889年に確かにピザ店を開いており、偶然にも、その6年前に「イタリア女王のピザ店」という名前に改名していたようだ。また手紙が送られた1889年6月11日には、マルゲリータと夫のウンベルトは確かにナポリにいたし、ガッリも確かに王室の食卓責任者だった。

そのうえ当時の王室には、新生イタリア王国の高い税金に苦しんでいたナポリ市民の機嫌を取りたいという動機があった。

イタリアでは、19世紀初頭から、自国を外国の支配から解放しようという運動が始まっていた。そして1861年、イタリア南部とナポリは、スペインとつながりがあったブルボン王家の支配から脱し、イタリア王国として独立を宣言した。

1870年に、この新王国にローマが加わり、イタリア統一が果たされた。1878年には、2代目の王ウンベルト1世が即位し、マルゲリータは王妃となった。しかし、君主制による統一やイタリアの国旗は新たな概念であり、すべての人に支持されていたわけではなかった。ウンベルトは、即位一年目にナポリで暗殺されかけたほどだ。

そのような事情があったため、食べものは、国民の意識を統一するという点で、大きな可能性を秘めていた。国旗の色を使い、王妃の好物で、王妃にちなんで名づけられたナポリのピザとなれば、なおさらだ。

作られた伝説なのか?

ピザ・マルゲリータは、王室関係者たちによる、料理を生かした巧みな政策だったのか。王族が庶民の料理を味わうというのは、人々の心をつかむ最良の方法の一つだ。長らく、この話はそのように解釈されてきたが、近年の調査によると、この物語自体がどうも作り話のようなのだ。

ピザ・マルゲリータ誕生の物語には、いくつかの重要な欠陥があることがわかっている。一つは、王族がナポリを訪問する少なくとも30年前から、この料理が存在していたことだ。1853年にナポリの風習を集めた本を書いたエマヌエーレ・ロッコという人物が、バジル、モツァレラ、トマトをトッピングしたピザについて記している。

エスポジトのピザ店で起きたことについては、当時の現地の記録には何も残されていない。王族関係のニュースを扱っていた刊行物にも、王妃が街を訪れたことやガッリの手紙のことは記されていない。さらに、エスポジトに送られたとされる手紙の署名は、ガッリの筆跡と一致しなかった。

では、ガッリではないとすると、誰がこの手紙を書いたのだろうか。その手がかりは、手紙の宛先に記されている「ラファエレ・エスポジト・ブランディ」にある。奇妙なのは、姓にあたるものが2つ記されていることだ。ブランディというのは、ラファエレ・エスポジトの妻マリア・ジョバンナの旧姓だ。

ヨーロッパには、夫が妻の旧姓を使う習慣はないので、エスポジトがブランディを名乗ることは考えにくい。しかし、このピザ店には、ブランディという関係者が2人いた。マリアのおいで、1932年に店を受け継ぐことになる、ジョバンニ・ブランディとパスカーレ・ブランディだ。

一説では、店の宣伝のためにブランディ兄弟が手紙を偽造したとされる。この店は、1932年に「ピッツェリア・ブランディ」に改名されていたので、手紙にも「ブランディ」を含めざるをえなかったという説だ。王族が街の食べものを口にするという話は、当時のイタリアでよく知られていた。手紙が送られたとされる年の約10年前にあたる1880年には、マルゲリータ王妃がある職人のピザを絶賛したという記事が新聞に掲載された。

エスポジトのピザ店は、現在も「ピッツェリア・ブランディ」として営業している。マルゲリータ王妃の話の信ぴょう性はともかく、1989年には、ピザの命名100周年を祝って店の外壁に記念プレートが設置された。

文=BRADEN PHILLIPS/訳=鈴木和博(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2022年4月21日公開)

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